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あらきと学ぶ楚漢戦争 ~「事前知識としての思想」~ 儒家

思想家が目指したものは?

以前お話したとは思いますが、思想家は「新たなる秩序」、人の世を治める術を探しました。戦国乱世の中には息子を料理して君主に食べさせるやべーやつや、出世の為に妻を殺す将軍など、とにかくろくでもない奴ばかりでした。父親が死んだあとその愛人に手を出した息子なんかもいます。光源氏かな?

いいね!光源氏くん (FEEL COMICS swing)

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 このように、乱世は人倫もめちゃくちゃで、やはり社会の決まり事、道徳的な観念を新たに打ち立てることを試す人も増えていきます。しかしどちらかというと、「特定の思想体系を打ち立てて取り入られること」に重きを置いている点もやはり否めません。秩序を完成させるために取り入るのか、取り入るために魅力的な秩序を完成させるのか。

そんな中、楚漢戦争にも関係するのが「儒家と法家」の思想です。

というわけで、先に生まれたとされる儒家の思想から追って行きましょう。

 

始まりは「マイナーマナー講師」

孔子だけに。なんつって。――さて、孔子も今ではかなり有名ですが、元々彼が生きた春秋の時代での彼の評価はきわめて低い者でした。正しく言うと「めんどくせぇやつ」でした。

言っていることは当時の人々ももちろん理解していました。儒学の基本的な考え方は「親を大事に、人々を労わる、立派な聖人が政治をすれば世の中よくなるよね♪」です。乱世を生きる諸侯は「思想には時代のニーズがあるだろ」と思っていたかもしれません。だれも孔子の言う「時代錯誤の正論」には耳を傾けませんでした。

騒がしいマナー講師でも、政治を任せれば有能

ところが、孔子の弟子には多く成功した官僚がいます。中でも子路と子貢は卓越した能力を持った官僚で、子路は一国の政治を任されて極めて高い結果を残したとされています。実際、師の孔子も「彼は君子の域に近づいている」と言うほどの賢人でした。

日本の作家である中島敦も『弟子』で子路のことを書いています。

 

弟子

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李陵・山月記・弟子・名人伝 (角川文庫)

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 一方の子貢は口先三寸の男で、弁舌を以て天下の采配を大きく変えました。彼のような弁舌さわやかな人間の影響力が古代中国史では結果に大きく作用しました。子貢は呉越の争いに大きく関与し、暴虐で愚昧な呉王夫差を破滅まで追い込みました。

 

思想としての「儒家

官僚として職を求める一段としての儒家は「結構有名(口うるさいから有能でも嫌って君主は多かったようですが)」でした。しかし、思想家としては今でこそ最も有名ですが当時は「数ある中の一つ」にすぎませんでした。その儒家がいかにして力を持つかは楚漢戦争の結末なんかと大きくかかわっていきます。

それはさておき、儒家の思想を当時一定の体系まで成立させたのはやはり何と言っても孟子でしょう。もともと単なるマナー講師に過ぎなかった思想は孟子によってダイナミックな政治原理へと変化したといえます。

そのダイナミックさは何と言っても「君主を引きずり下ろすことを是認する易姓革命の考え方に在りました。

易姓革命は、赤字の通り「君主が無能(徳を持たない)な暴君なら武力を以て追い出すことも許される」としました。

これが結構厄介な思想なので、やっぱり儒学は戦国の世にはうけませんでした。次回は戦国の世を制した法家の思想を見ていきましょう。

今回は短くてすみません。

 

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